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2012年 新年のご挨拶
2012/01/01 – 00:00
VineLinux6.0のスクリーンショット
2011/12/30 – 13:21
今年(2011年)の6月中旬から10日間ほど、イングランド・スコットランドに個人旅行しましたが、その終わりの頃に持参していったノートパソコンが故障しました。旅行中、常駐させていたモバイルメータの示すCPU温度が高いなぁとは思っていましたが、エディンバラで「WindowsUpdate」をさせた後で、再起動できなくなりました。仕方ないので、そのままパソコンを使わないで帰国しました。
WindowsXPを再インストールしてみたのですが、色々と不具合があり、クリーン再インストールしました。そうしたら、「ネットワークドライバーが無いからインターネットからゲットせよ」との御託宣。ネットワークが使えなくて、インターネットからドライバーをゲットできるかよ!
「パソコンリサイクル券」を買って、廃棄するのは美学に反するので、Windowsではないオペレーティングシステムをインストールして使用し続けることにしました。これって、「何時か来た道」ですねぇ。2007年3月のブログには、「IBM-ThinkPad A21」に「VineLinux-4.1」をインストールした画面を紹介しましたが、こんどは、「Dell Inspiron 700m」に「VineLinux6.0」をインストールしました。
これ(↓)は、Vine6上でブログを表示させたものです。右端には「グーグルガジェット」が表示されています。上から順に「アナログ時計」「日めくりカレンダー」「デジタル時計」「CPUとメモリ使用状況表示ツール」「Googeカレンダー」を 常駐表示させています。

これ(↓)は、WWWブラウザで「NHKの番組表」を表示させながら、「インターネットラジオ」でNHK-FMを聞いています。便利な世の中になりましたねぇ。

これは、2007年のVine4.1のスクリーンショットですが、「負荷の状況を示すxload」「デジタル時計」「アナログ時計」「カレンダー」などが並んでいて、当時から同じような画面配置を使っていたんですね。「マウスカーソルの概略位置を示す「猫」は、必要が無くなりました(コントロールキーを叩くとマウスカーソル位置が分かるようになりました。)

グーグルガジェットを増やすための画面は、今年の8月には、こんな(↓)状態だったのですが、
このシステムがクラッシュしてしまい、再インストールしたら、これっぽっちしか選択できなくなってしまいました。これじゃ、あんまり役にたたないなぁ。
でも、あるだけ、マシかな。ubuntu-ja-11.10, Fedora16, openSUSE-12.1 などの他のディストリビューションでは、グーグルガジェットがインストールできませんでした。
FedoraLinuxだと以前のバージョンでは出来たようなのですが、インターネットで検索して、その通りにインストールをトライしてみると、「実行できません」「何もしません」とツレナイメッセージ
インターネットを経由する「IP電話」である skype も使えます。
「通話相手(コンタクトリスト)」を全員分表示してくれますが、相手がインターネットに接続できる状態になっているか否かに無関係に表示するのは、ありがたくないですねぇ。それに、機器のテストもできないみたいだし…
これ(↓)は Windowsの場合の画面ですが、こっちの方が良いなぁ。
VineLinux6.0で印刷に困っています。Vine5(.2)の時代には拙宅にあるヒューレット・パッカード社のHP-PSC2550というネットワークプリンタでこの(←)ようにプリントできていました。
これは、Vine5.2でHP-PSC2550プリンターにテストパターンを印字させたものをスキャンしたものです。
しかし、Vine6.0で同プリンタを使用した場合のプリント用紙のデジカメ写真が以下のものです。つまり、Vine6から同プリンタを利用すると、どんな内容を送っても、印刷結果は、A4版の 1/4くらいのところに真っ黒にプリントされた用紙が4ページでできます。両面印刷を指定していると、裏表にそのようなパターンが印刷された紙が2枚(要するに4ページ)でてきます。
ubuntu-ja-11.10やFedora-16・CentOS6.1 で同プリンタを使用した場合のテストパターンは、このようになり、特に問題はありません。ただし、Fedora16とCedntOS6.1の場合は、いずれもRedHat社に関係するディストリビューションなので、テストパターンは全く同じでした。
VineLinuxのメーリングリストに投稿して教えを乞うたのですが、プリンタルーチンを面倒みている人が、そのプリンタを持ってないので、判断のしようがないそうです。確かに発売開始から10年くらいは経っているプリンタですので、「made in Japan」だと、とうの昔 に見捨てられたであろう代物ですが、さすが欧米は違いますね。ただ、最近、理由不明でダダをこねてプリントしてくれなかったり、それが何もしないのに回復したり……で 悩まされていますので、そろそろ「諦め時」かなぁと思っています。昨日から、またまたサボタージュを始めまして、今度は起動時にギリギリと異音がしています。まだまだ消耗品の在庫があるのに、困ったなぁ。
それに代替として買ってみたキャノンのネットワークプリンタMX420は、ADF(Automatic Document Feeder)があるので、シメシメと思ったんですが、「両面印刷ユニット」すらない ヤスモノ で、ゼニウシナイになりそうです。Linuxでは、PIXIMA420 というドライバーを使うみたいですが、まだ印刷成功はしてないんですぅ、悲しいことに。
納豆記念日
2011/11/30 – 14:40
医者 更えて 霜月晦日は 納豆記念日 (本句取り 俵万智)
主治医と決めている内科のM先生(専門は糖尿病)から、「念の為、循環器内科で検査を受けてくれ」と言われて、循環器内科の開業医であるX先生に受診したのが2009年2月。「脳梗塞になる危険状態」とのことで、毎日 薬を服むことになりました。
私よりも若い あの人・この人・あの人の奥さん・大学時代の寮仲間の誰それ……が、脳卒中(脳梗塞や脳出血)を起こして亡くなったり、生きていても半身不随とか言語障害や寝たきり とかの不自由な生活をしているのを聞くにつけ、綱渡りではあるけど、無事に生きているのに感謝しています。つい先日など、私と同じ症状を指摘されながら、私が服用していた お薬の服用を拒否して脳梗塞で亡くなった人まで出ましたし。
ただ、この薬、厄介なもので、効き過ぎると脳出血を起こすそうだし、効き足らないと脳梗塞の危険があるんだそうです。だもんで、「ほぼ2週間に1回、採血して検査機関に送り」「2~3日から1週間後にその結果を見て薬量を決める」・「採血から2週間後(1ヶ月後のこともある)にまた採血」の繰り返しと、時には「負荷心電図・24時間心電図や超音波エコー検査」ということを続けてきました。
食物の制限もあり、納豆や青汁はダメ、M主治医が処方してくれている尿酸値を下げる薬(尿酸の発生を抑える薬)はダメで、尿酸の発生を防ぎはしないけれど それを排泄する薬、に変えさせられました。今年の人間ドックでは血尿の状態が悪くなった、ということで、精密検査を受けたのですが、この時の泌尿器科のD先生が言うには、「尿酸値対策の薬は、元に戻した方が良い」そうです。しかし、脳卒中の危険から、それはダメ。
この循環器内科のX先生、古いタイプのお医者サンで、若いくせにコンピュータが使えないのは仕方ないとしても、予約診療もしてくれないから、いつ 行ったら なん時 に戻れるのかも分からない。唯一、確実なのは、朝7時に番号札を取り、朝8時にその番号札の順番に予約し、9時から診療開始なので、それを待つ、ということ。もし、番号札が4番や5番だったら、なん時 に診てもらえるのかは、分からない、という状態です。患者はお金と体を持ってきて 俺の言うことを聞いていればそれで良い、と思っているのかも。
それに看護師さんはともかく、しょっちゅう入れ替わる受付のお姉ちゃんが、すぐに「感じ悪い」応対になるのは、彼女達の労働環境に問題があるのかな、と思っていました。この先生、心エコーの撮り方がヘタクソです。「肺に空気がある状態だと良く見えないので息を吐ききって、呼吸を停止して」というので、そうしていると、いつまで経っても「はい、息を吸っても良いです」と言ってくれない。これじゃ、死んじゃうょう。
先日は、「状態が改善されないので、このままだとペースメーカーかな」というので、「それじゃ、他の先生の意見も聞いてみたいので、紹介状を書いて欲しい」と言って、このあたりでは大体の人が行くK大学病院(この先生の母校)に行きました。
診療の仕方が全然違いますね。銀塩フィルムでのX線写真ではなく、コンピュータ処理のX線なので、典型的な画像を縮小コピーしたものをくれるし、データのサマリもくれるので、これがあると主治医のM先生や内科医である義弟に相談もし易いし。それに、X先生はひと言も言ってはくれませんでしたが、私が服み続けている厄介な薬に代わる新薬が、今年(2011年)の1月に承認されて、腎臓に問題がある人以外はそっちに変えられる、のをテレビやインターネットで知っていましたので、それに変われないだろうか?と相談しました。
「『腎臓に何の問題もない』とは言い難いけど、まぁまぁ新薬でも大丈夫でしょう」ということでした。このN教授先生は「私は診続けられないけど、医局の若い先生で良いか?」とのこと。「もちろんです」というわけで、お医者さんと お薬を変えることにしました。新薬なので、2週間分しか処方できないけど、仕方ないですね。薬のお値段が高い のも知っていましたが、我が家の大蔵大臣もオッケーしてくれました。
というわけで、2年9ヶ月ぶりに、納豆を食べられます。納豆にしろ、青汁にしろクロレラにしろ、それほど好き、というわけではないんですが、でも、久しぶりに納豆を食べることが出来ます。 (^_^)
ご飯の分量に丁度良い 20グラムの納豆が好きだったので、それを買ってきました。
左前方にあるのは、手作りヨーグルト。その隣は 厚揚げとガンモドキ、その右はコーヒー。手前はプチトマトとレタスとカリフラワーのサラダ。メインは、ビーフシチュー。ワラコロネットのお姉様方からは、「朝食にしては食べ過ぎ!」と言われるかな?
2年9ヶ月ぶりの納豆は、超美味でした。 (^_^) かくして、11月30日(霜月の晦日–みそか–)は、これから納豆記念日になります。
医者 更えて 霜月晦日は 納豆記念日 (本句取り 俵万智)
三題噺:乃木希典将軍・葱(ねぎ)・山の神様
2011/11/29 – 11:55
その昔、小学生の「尋常小学校修身」の教科書にあった話だそうです。
乃木希典少年は、ニンジンが嫌いで食べられなかったそうです。その好き嫌いを心配した母親は、毎日 煮たニンジンを食べさせようとしたそうです。おかずはニンジンだけ、だったそうです。そこで遂に希典少年は、ニンジンが食べられるようになった、とあるそうです。
私が小学生の頃聞いた話では、「コンニャク」だったんですが、今回インターネットで調べたら「ニンジン」とありました。これを書いた人は実際に修身教科書を読んだそうですから、こっちが正しいのでしょう。「コンニャクなんて食べられなくたって問題無いだろうが、何故、矯正しようとしたのかな」というのが長年の疑問だったんですが、ニンジンなら納得できますね。
1940年代の始めに小学校の女性教員をしていた某さんは、初めて持った女の子が、ネギを食べられないことに気付いたそうです。そこで、修身教科書にならって、この児を「ネギ攻め」にしたそうです。ところが希典少年よりも強かった少女は、遂にネギを食べなかったそうです。この少女は、やがて成人し、我が家の「山の神様」になりました。
だもんで、我が家の山の神様は、依然としてネギ嫌いです。そういえば、彼女の下に弟が二人、妹が二人いるのですが、義母は長女で懲りたらしく、弟妹には強制しなかったようです。おかげて、みんなのネギに対する反応は普通です。長女は高校を卒業するとき、「女の子は大学に行く必要はない」との反対を撥ねのけて進学しましたが、二人の妹は、当然のごとく何の支障もなく進学しました。
さて、そういうわけで、「時にはネギも食べたいょね」という、ごく普通の私は、ネギは自分で処理しないといけないのね。
最近はスーパーにあるネギは、頭の緑の部分がチョン切られて無惨な姿ですが、時には「五体満足」な泥ネギが店に出ることもあります。そういう時に、それを買ってきて緑の部分を5cmくらいに切ります。これ(↑)は、泥ネギ2本分ですね。
そのネギを「電子レンジ用圧力容器」(全日空の機内誌から通販で買った「クック膳」というものです)に入れてチンします。
手早く取り出して水で晒すとこの(↑)ように、半分くらいのカサになります。
実際に食べる時は、分量を小皿に取り出して削り節と醤油とで食べます。
「チン」しなかった白い部分は、刻んでZiplocに入れて冷凍庫に放り込みます。
使う時は、これを そのまま かければ食べ物の熱で自然に解凍して、香り高いネギが、毎回 楽しめます。それから、刻むときですが、あんまり熱心に刻まなくても、カチカチに凍ったネギはユビ先で簡単にバラバラになりますから、とっても楽です。
昭和記念公園 2011.11.24
2011/11/24 – 18:39
朝の9時半に入園しました。300mイチョウ道路は、カメラパーソンズ(マンもウーマンも居ましたので)ズラァ~リでした。
写真のファイル名は、撮影時の年月日・時分秒を元にしています。マウスカーソルを当てるとファイル名が分かるでしょう。
園内のレストランで昼食の「シーフードドリアとサラダ(2人分)を いただきました。
「カナル(運河?)」のフランス式刈込みです。あんまり好きになれないな。
帰路はわざと 遠回りをして、立川から多摩モノレールに乗って、多摩センター → 橋本 としました。モノレールには、当然のことながら 先頭車・運転手の直後に乗りました。右側は、対向列車です。終着駅には、2本のレールを2本のプラットフォームに導くためのポイントがありました。珍しいのでパチリ。
大野北公民館 第39回 サロンコンサート
2011/11/20 – 05:18
昨日(2011.11.19 Sat)、我が家の最寄り公民館である大野北公民館でサロンコンサート「音楽の玉手箱」がありました。今回が第39回なんだそうです。
テノールの程波(Cheng Bo)さん、「中国民族楽器の王」と呼ばれる 趙正達(Zhao Zhengda)さん、素敵な美人の劉せん(「せん」の字は、女偏に「研」の字の右側。第2水準ならこの漢字があるのかも知れない。英語表記だと Liu Yan)さん、の3人が出てくれました。
程さんが司会をして、テノールの歌を、趙さんは、二胡やその小さなもの(勝手に「ピッコロ二胡」と思うことにしました)フルス・バーウーなどの珍しい楽器の演奏とそれらによる伴奏などを、劉さんは「簡単な京劇講座」と最後に「変面ショー」をしてくれました。
京劇講座では、項羽が追い詰められ、四面楚歌の状況で、虞美人が最後の舞をして自決する場面を演じてくれました。趙さんは、色々な楽器を弾きこなす名人で、新百合ヶ丘で二胡の教室をやっておられるそうです。
最後に、劉さんの「変面ショー」がありました。両手に幕みたいなものを持って踊りながら、一瞬にして顔を変えてしまうという絶技で、やんやの喝采でした。程さんは、「どうやって変面するかは、中国の国家機密」とか言っていましたが、どうやら、両手に持った幕で、顔面を覆う瞬間に変面するようで、彼女が後ろを向いた時には変わりませんでした。
演奏・演技中は撮影禁止でしたが、最後に花束を贈られた後、撮影が許されたので、趙さんと劉さんとを撮影しました。この時、程さんは壇上に居なかったのかな?
その後、3人は、壇上から客席までやってきて、みんなと一緒にカメラに納まってくれました。背広姿が程さんです。
大野北公民館の圏内には、漫画家の「秋竜山」が住んでいます。彼は、広報誌などにボランティアで寄稿してくれていますが、公民館内に2枚の額がありました。ブログに大きく載せるのは著作権上マジィと思いますので、ごくごく小さくして、紹介だけしておきますね。
2011.12.3(Sat)には、同公民館で「クリスマスイルミネーションの点灯式」があるそうで、在日米陸軍軍楽隊・淵野辺アマチュアジャズサークル・桜美林大学聖歌隊・県立相模原高校マンドリン部などが演奏してくれるそうです。
一つ、とっても残念だったのは、会場の音響機器が、お粗末でとっても聞き苦しかったし、会場も真四角であんまり音響を重視してない、と思われたことです。この「大野北公民館・大会議室」は、私にとっては、選挙の投票所だもんねぇ。ご近所の「わらころネット」のメンバーである Sさんに会場で会いました。 (^_^)
好奇心ガール、いま 97歳
2011/11/13 – 12:10
サブタイトルが「現役写真家が語る しあわせな長生きのヒント」です。
我が家は、壁はアルミ板で天井は鉄板です。だもんで、屋内には、電波が届きにくく、「電波時計」は設置場所を選ばないと同期してくれないし、携帯電話もアンテナマークが少なくなる箇所もあります。テレビは外部アンテナを使いますので、大丈夫なんですが、ラジオはノイズばっかりで、殆ど実用になりません。
ところが、嬉しいことに、「ラジコ」・「サイマルラジオ」・「らじる★らじる」(NHKのみ)などでインターネットからラジオが聞けるようになりました。これにともなって、NHKでは、「ラジオ深夜便」の放送済み番組を 期間限定で 流してくれるようになりました。
2011年9月に放送された「笹本恒子 現役カメラウーマン」の放送は、このサービス(ストリーミング放送)で聞いたのですが、綺麗な若々しい声で色々話してくれて、一遍で魅了されました。
昨日(2011.11.12)、いつもは行かない本屋さんを覗いてみたら、笹本さんのこの本がありました。奥付きによれば、2011.10.4の発行で、私が買ったのは、その「初版3刷」でした。早速買ってきて、一気に読んでしまいました。
現役写真家の本ですから、写真が豊富に入っていて、現在の彼女の写真もあれば、若いころ彼女が撮影した写真もあり、とにかく綺麗な写真が沢山載っていましたし、彼女の放送での語り口そのままの楽しい本でした。絶対にお勧め です。
ユングフラウ鉄道 その2
2011/11/06 – 15:48
前のブログ「ユングフラウ鉄道など」では、「この電車は、三相交流・50ヘルツ・1125ボルト なんだそうで、だとすると架線が2本あった筈ですけど、知らなかったので、それと分かるような写真は撮っていませんでした、残念。」と書きました。
その後、ネットサーフィンして、「架線が2本ある『上半分がクリーム色、下半分がオレンジ色に塗られた綺麗な電車』」の写真が幾つか見つかりました。そのURLは、http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Jungfraubahn?uselang=jaです。
そうして、嬉しいことに「 I, the copyright holder of this work, release this work into the public domain. This applies worldwide.著作権保持者である私は、この作品をパブリックドメインに開放する。これは、全世界に適用する」と書いたファイルがあります。そこで、それらの幾つかを引用しますね。
この中にある写真を見てゆくと、「上半分がクリーム色、下半分がオレンジ色」ではない車両もあるみたいですね。
最初(↑)は、列車の交換(すれ違い)の時に反対側の車両を撮影した写真です。よく見るとパンタグラフが横に2つ並んでいるのが見えます。パンタグラフあたりをクローズアップした写真が、これ(↓)です。
2本の架線に2個のパンタグラフが接触していることが良く分かります。
3度目の「お早く御乗車…」
2011/11/06 – 11:00
この本についてのブログも3回目だなぁ。この後、もう1つ出す予定なので、全部で4回になるのかな。
第1回目で、「原本には、きっと写真が載っていたんだろうなぁ」と書いたので、それを確認するために、オリジナルの単行本を取り寄せてみた。
既に絶版になっていて、「それでも」と言う程のご執心ではないので、相模原市立図書館で聞いてみた。でも、相模原市内の図書館・公民館には無いとのこと。「神奈川県立図書館にあるので、取り寄せられますが…」とのことなので、頼んでおいた。それが届いた、というメールがあったので、早速、借りてきた。なんとまぁ便利な世の中になったもんだ。 (^_^)
その本の口絵と奥付きがこれで、「口絵」の写真は、御殿場線・国府津駅で撮影した阿川クンの勇姿。本文の45ページ(文庫版)から始まる「僕は鈍行の機関士」の時の撮影。運転台から左手で敬礼をしているのが、阿川クン。文庫版では、「その時の写真は、この本の口絵になっているが(文庫版には掲載せず)となっている1枚だけ。
この本には、「僕は特急の機関士」という文章と「僕は鈍行の機関士」という2つの記事があるわけだが、前者を読んでいるとき、三木鶏郎の「僕は特急の機関士」を思い出して、YouTubeを検索してみたら、3つヒットしたので、URLを書いておくね。これは、「楠トシエ・ダークダックス・デューク・エイセス」が歌っている奴。
文庫版の98ページには、「その方面の収穫(汽車の話し)が、全部カラー・スライドになって、……しまってある。……カメラはニコンS2、レンズはニッコール1.4、50ミリ、フィルムはすべてコダクローム」とあるので、読者へのサービスとしても、何枚かは、出ているんだろうな、と思ったわけ。
印刷技術などで、当時の本には載せられなかった、というのなら、理解できなくもないけど、あまつさえ、「口絵」に出ていた写真を「文庫版には掲載せず」とは、あんまり愉快じゃないな!! プンプン!!
ユングフラウ鉄道など
2011/11/03 – 14:30
先日書いた 阿川弘之の文庫化本で、スイスの登山電車に「置いてけぼり」にされた 記事を見て、この登山電車の写真を見てみようと思いたち、アルバムを開いて見ました。

この本の 115ページには、「上半分がクリーム色、下半分がオレンジ色に塗られた2輌編成の綺麗な電車」とあったので、その写真を見てみたかったのです。
確かに「上半分がクリーム色、下半分がオレンジ色に塗られた綺麗な電車」で、オレンジ色の場所には「JungFrau Bahn」とあります。
この電車は、三相交流・50ヘルツ・1125ボルト なんだそうで、だとすると架線が2本あった筈ですけど、知らなかったので、それと分かるような写真は撮っていませんでした、残念。
この(←)写真は、富士通のカレンダーからスキャンしたものです。だいぶ前のことですが、「世界の車窓から」というテレビ番組を提供していたことがあるので、その頃作ったカレンダーなのかしら。私には著作権が無いものなので、紹介程度に留めるために、ごくごく小さくしました。
阿川弘之クンがこの文章を書いたのは、「昭和33年5月」なので、「十月のシーズンはずれ」は、少なくとも昭和32年(1957年)。我々が乗ったのは、1996年8月6日なので、30年くらいは経っている時ですが、「上半分がクリーム色、下半分がオレンジ色に塗られた2輌編成の綺麗な電車」は同じだったんですね。2011年11月の今は その時から15年経っていますが、いまでも そう なんだろうなぁ。
この鉄道に乗ってユングフラウヨッホ駅まで行ったのは、8月の盛夏ですが、終着のユングフラウヨッホ駅に近づいてきたら、それまで「短パン・半袖」だったヤンキー青年がコートを着こみ始めました。我が連れ合い殿は、重武装完了です。
ユングフラウヨッホ駅(海抜3,454m)の展望台から見ると雪景色でした。

このあたりの登山電車は急勾配なので、その線路は「ラック式」です。そのため、線路の分岐点の いわゆる 「ポイント」の構造が複雑です。
上の(↑)左端写真は、この駅(グリュンデルワルト駅)に登ってきた電車(ヴェンゲルンアルプ鉄道)と一緒に撮影されています。この車両が、このポイントを通過する時は、歯車車輪(ピニオン)は、いつでも噛み合っていますが、左方面からこのポイントを通り右方面に行く車両の歯車は、一旦ラックレールとの 噛み合いが外れそうです。中の写真もそうですが、こっちでは、直進して行く時には噛み合っていますが、右の線路に移るときには一旦 噛み合いが外れそうです。勾配の小さな方のレールが遠慮するのかな?
スイスの鉄道は、762mmのナローゲージあり、1000mmのユングフラウ鉄道あり・1435mmの標準軌あり、と複雑なため、その区間を連絡するためでしょうか、軌間の違う貨物車両を乗せる貨物車両がありました。
1996.8.6と7日に2泊したのは、「Sans-Souci」と言う名前のペンションでした。6日の晩に ワインと水を注文しました。「2リッター」の水が欲しかったのですが、「4リッターしかない」とのこと。二人で4リッターの水は呑まないと思ったけど、仕方ないので、それを頼みました。
で、案の定、飲みきれなくて残しました。2泊目もまた「4リッター注文して半分残すのかなぁ」と思っていたのですが、案内されたテーブルには、我々の名前が記載されている昨夜の飲み残しが 冷蔵庫で冷やされて待っていました。嬉しかったなぁ。 (^_^)








